リード
前回は、東ドイツの投資がベトナムのコーヒー生産拡大にどうつながったかを追いました。
今回はその続きとして、畑がある「場所」そのものに焦点を当てます。
手軽に飲めるインスタントコーヒー。そのコーヒーの生産の場はベトナムにあります。
しかし、、、その畑が広がる前、そこには誰かの暮らしがありました。
コーヒー畑が広がる前、中部高原はどんな土地だったか
時計を巻き戻します。1943年時点で、中部高原(タイグエン地方)の約80%は森林に覆われていたとされています。二重、三重に重なった林冠を持つ、密度の高い熱帯雨林で、トラ、アジアゾウなどが暮らしていたようです。
そこに住んでいたのが、エデ族、ジャライ族、バナ族、ムノン族といった先住少数民族です。彼らが営んでいたのは、森を切り拓いては休ませ、また使う「循環型」の焼畑農業で、1家族あたり平均1〜2ha、多い家では5ha以上を長い周期でローテーションしていたといいます。
特徴的なのが土地の持ち方です。土地は個人のものではなく、村落共同体(ブオン)が儀礼や生活のために共有する資源で、配分を決めるのは長老会や村長でした。エデ族などは母系社会で、土地の相続・管理権は伝統的に女性が持っていたとされています。
この時点では、まだコーヒー畑はほとんどありません。
土地はどのようにして、少数民族から奪われていったのか?
1975年にベトナム戦争が終わると、もともとその土地に住んでいた少数民族たちの「自治権」はなくなりました。そして、「土地はすべて国のもの」というルールになります。もともとあった大規模な農園は、国の会社に分け与えられました。
東ドイツとの協定が結ばれたのもちょうどこの時期にあたります(前回記事参照)。
その後、1986年の「ドイモイ(経済を立て直すための新しい国家政策)」などをきっかけに、国の農場は解体され、「土地を使う権利」をそれぞれの世帯に分け与えるという流れに変わります。
そして1993年、新しい法律(土地法)ができました。
これは、「土地の持ち主は国だけど、最長20年間はその土地を使っていいよ」と証明する制度です(この証明書は「レッドブック」と呼ばれました)。
しかし、この制度には大きな落とし穴がありました。
保護されるのは「ずっと農作業を続けている土地」だけだったのです。少数民族の人々は、土の栄養を回復させるために、一時的に畑を休ませる(あえて使わない)という農業のやり方をしていました。
ですが法律上、そうやって休ませている土地は「誰も使っていない土地」や「国の森」とみなされてしまったわけです。
少数民族の方々からしたらたまったものではありません。そこには先祖代々、大切にしてきた森が目の前にあったはずなのです。しかし、それがある日突然剥奪されてしまった、、、
この法律や制度は、最初から少数民族をいじめようとして作られたわけではないかもしれません。しかし結果的に起きたことは、彼らの土地や文化を一方的に奪うことにつながってしまいました。

なぜ”コーヒー”だったのか
この記事では誰か一人の犯人捜しをしたいのではありません。様々な条件が重なったことが招いてしまった結果なのかもしれません。しかし、残念ながら我々が愛するコーヒーがその一つの要因となった、といっても過言ではないかもしれません。
ベトナム政府はドイモイ政策の下、外貨獲得の柱としてコーヒー(主にロブスタ種)などの商品作物栽培を強力に推進しました。
それでは、なぜ、他の作物ではなく「コーヒー」だったのでしょうか。それには、いくつか理由があるようです。
一つは、土地との相性。ベトナムで栽培されるコーヒーの9割以上を占めるロブスタ種は、病害虫に強く、標高の低い土地でも旺盛に育つという特性を持っています。中部高原に広がる玄武岩質の赤土(バザン土壌)と、雨季・乾季がはっきり分かれる気候は、このロブスタ種にとって理想的な条件だったとされています*1。少数民族の長く生活の中心であったその広大な高原は、皮肉にもロブスタの栽培においても絶好な場所であったのです。
もう一つは、収益の差です。ドイモイが始まった当時、ベトナムの貧困率は50%を超え、年間所得は約100ドル程度だったとされています。そこにコーヒーは、主力の自給作物の数倍から数十倍の利益をもたらす作物として登場しました2。実際、米・トウモロコシ・キャッサバといった自給作物と比べて、コーヒー栽培はおよそ5倍の収益をもたらしたという報告もあります。冷害などで収量が半分以下に落ち込むような年でも、残った木からの収益は従来の作物を上回っていたとされ3、いったんコーヒーに切り替えた農家が後戻りしにくい構造がありました。
そしてもう一つ、中部高原の外側にも理由がありました。その当時、世界市場が求めていたのは、インスタントコーヒーや缶コーヒー、安価なブレンド用の「安いカフェイン」です。ロブスタ種はまさにその需要に応える品種で、ベトナムは今や世界のロブスタ輸出のおよそ4割を担う供給地になっています*4。中部高原という「場所」の適性と、世界の消費者が求める「安さ」が、たまたま噛み合ってしまった、とも言えるかもしれません。
「休閑地が未利用地とみなされる」→「レッドブックを担保に借金をする」→「返せず土地を失う」→「土地を失った農家が、さらに奥地の森を切り拓く」。この循環が、誰か一人の意図というより、止まらないシステムのように動いていたようです。
まとめ
中部高原のコーヒー畑が広がった土地は、もともと先住少数民族が共同体で使っていた森と農地でした。その転換は、誰か一人の意図ではなく、国家の制度、人口移動、世界市場の需要、そして農家一人ひとりの生存の必要性が複数重なって起きたことのようです。
生活が向上した人と、土地を失った人。この二つの光と闇が、目の前のインスタントコーヒーの遠い先に映っていたのです。
この記事を読んで罪悪感を持ってほしいわけではありませんし、不買運動をしよう、という話では一切ありません。ただ、私は一コーヒー好きとして、消費者として、その「歴史」を知っておくことは意味のあることなのかな、と考えています。
私がスペシャリティコーヒーを愛する理由の一つが、コーヒー農家さんとの”繋がり”です。言語も違う、文化も違う、はるか遠くの地球の裏側で暮らす農家さんと”繋がる”ことができる。コミュニケーションを超えた”温もり”を感じるのは私だけではないはずです。
そして、私はインスタントコーヒーを始め、コモディティコーヒーも大好きです。その多くはロブスタ種です。しかし、その一杯のコーヒーの奥底にはいろんな闇も漂っていることも今回しみじみと感じることができました。
オイルショックが東ドイツからコーヒーを消し去り、それが遠いベトナムでのロブスタ生産を後押しすることになる。少数民族の方々の生活の場は追いやられる一方でベトナムはその後世界2位のコーヒー生産大国の地位を築く、、、歴史というのは本当にわからないものですね、、、まだまだ色んなコーヒーストーリーを皆様に届けていこうと思います。
*1 USDA Foreign Agricultural Service. Coffee Annual: Vietnam (GAIN Report No. VM2025-0018). USDA Foreign Agricultural Service; 2025.(学術論文ではなく、米国農務省の政府機関レポート)
*2 Ha DT, Shively G. Coffee Boom, Coffee Bust and Smallholder Response in Vietnam’s Central Highlands. Rev Dev Econ. 2008;12(2):312-326.
*3 Nghiem T, Kono Y, Leisz SJ. Crop Boom as a Trigger of Smallholder Livelihood and Land Use Transformations: The Case of Coffee Production in the Northern Mountain Region of Vietnam. Land. 2020;9(2):56.
*4 Grunwald M. We Are Drinking the Earth—and Eating It: Even your morning coffee is ravaging forests. But beef is the prime culprit. Mother Jones; 2026.(学術論文ではなく雑誌記事)
※個別民族単体の人口については、今回のリサーチでは確認できませんでした。


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